『碧南市医師会史』碧南市医師会編(1968年発行)の<第一節 現会員の経歴及随想>にて、杉浦東平氏のなかに奇妙な文章を見つけてしまった。 杉浦東平氏は、テニスが御趣味だそうで”羽久手の主”として、羽久手公園にあるテニスコートを随分利用したそうである。 その羽久手公園テニスコートの周辺状況を表す文章に、こんなのがありました。 ”新川神社の大木は伊勢湾台風で枯死、残念ながら樹陰が乏しく、馬頭観音堂も倒壊してしまった。” ちょっと待って下さい、新川神社...
日本国のみなさま お元気でしょうか?楽しい夏休みを過ごせましたでしょうか? 渋滞酷く、渋面となっていませんでしょうか?明日からの生活を思うと億劫な気持ちになっていませんでしょうか? みなさまが今日一日を生きている間 世界の何処かで誰かが、地雷を踏んだり、銃弾に倒れたりしています。 そうです 本日8月15日は日本国にとって、そして東アジアの国々にとっても重き一日です。 ”戦争、戦争って番組ばかりで辟易した” なんて言わないでください。 世界に広がる...
6月13日の日曜日に千福町の斎宮社で「あじさい祭り」が開催されます。 そこで2日前となる金曜日に、アジサイの具合を見てきました。 今年は色が淡いですね。 落ち着いた印象です。色付く球も小さいようです。 ですが、ガクアジサイは綺麗でした。特に白色の種がいい感じです。 ガクアジサイは日本原産です。私たちがアジサイと聞いて思い浮かべるものは、セイヨウアジサイ。 神社には、やはり日本原産のガクアジサイが似合います。 あじさい祭りの詳細として、境内にあった...
新川における大浜街道のルートは、現在の県道50号が相当します。 しかし、このルートはどうやら明治時代初期頃に設定されたらしいです。 それ以前は御鍬社の西を通り、西山の集落を抜けて高浜市との境である坂上橋へ至るルートが大浜街道であったようです。 西山の集落を通り抜ける旧い大浜街道を歩いてみました。 大浜街道であった道は幅員が狭く、また微妙な曲がりを従う様は、往時の古道の風情を色濃く残しています。 古めかしい屋敷が並ぶなか、小さな地蔵堂を見つけました...
道場山時代は”清海寺”と名乗り、貞享3年(1686)に現在地に移転した「精界寺」。 西端へと向かう旧道に面した土塀は趣があります。 あえて赤土剥き出しの外観は荒々しくも温かく、そして朴訥な印象を抱かせます。 数年前に南側の壁は純白の仕様に改めたようですが、旧道に面した壁はそのまま土塀として残したようですね。 お寺の方々のセンスには脱帽です。 特色ある街の景観を後世に残していこうという気持ちを感じます。「精界寺の土塀」が街の歴史となるように皆さんも...
「履成」という字名が碧南市にはありました。読み方は「くつなり」。 字名の由来は、ここから靴を脱いで海を渡ったという話から来ています。 その「履成」を探してみました。 話には碧南工業高校のあたりだという事は聞いていましたが、正確にどの場所か、事前にはわかりませんでした。 こういう時は現地で聞き込みするに限りますが、今回は尽く知っている方に出会えず。 途方に暮れていると、偶然に「履成」の文字を住所に発見。筒屋製菓さんの古い広告看板でした。筒屋製菓さん...